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前世療法における前世の是非

先のブログで、前世がキリスト今日では否定的であるというお話をしました。私は、カトリック信者であり、かつヒプノセラピストです。最近、宗教的な考え、キリスト教の教理について非常に違和感を感じるようになってきました。それは、非常に限定的な考え方をされているからです。歴史において、宗教と言われるものは、人間の都合においてその考え方が変わっているからです。政治的であったり、その宗教の信仰を守るためであったり、権威のある方の考え方であったり。人は、頭で考え、理性で動き、保守に動きます。心で感じることが、教えに反することすらあります。

この世のことが、限定的な考えで決めつけられることは非常に違和感を感じています。

このようなことを言うと、宗教に対して、神学者に対して、信者に対して喧嘩を売っているようですが、そうではありません。愛を信じるからです。



それは、人間が考えている神の愛ではなく、無限の神の愛を感じているからです。その愛で見ると、罪は存在せず、掟も存在せず、ただ神が良しとする動きがそこに存在するのみです。殺しは罪である。勿論、殺すことはよくないことです。でも、神はそれをもって裁くことはありません。裁くのは人です。

どうしてでしょうか。神は、完全な愛だからです。人間には完全な自由が与えられています。私たち人間が、神の愛を生きるなら、人を傷つけ殺すことはないでしょう。でも、善のためと言って、裁き殺すことさえあります。それが本当の愛でしょうか。

究極的な話をすれば、この世の全ての動きは、愛に向かているということです。非常に限定的な目で見ると、地震、津波、火山噴火もネガティブな出来事のように見えます。でもそれは地球の営みであり、地球が必要だと感じるとき、また、人々の目覚めのためにおきることかもしれませんね。

ぜひ、あなたの意見を聞かせてください。

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